紅い月
ビルの間から見える紅い満月は俺をひどく興奮させた。
満月はただでさえ人を死地に招くのに、紅いなんて。
なんてひどい夜だろう。
足元に転がる数分前まで人だった、魂の入れ物に近づきしゃがみこむ。
流れ出ている赤い液体に手を伸ばす。
まだ温かい。
それを口元へ持っていく。
そっと舌を伸ばし触れた刹那。
「おい」
後ろから声が聞こえた。
今一番聞きたくない声が。
「なにしてるんだ?」
ぺたぺたと独特の足音がする。
こっちに来るな。
頼むからこんな俺を見るな。
「いや、なんでもない」
そう言って俺はとっさに汚れた手を隠し振り返る。
しかし。
「ん?手どうした?」
「いや、なんでもない」
「怪我でもしたのか?見せてみろ」
「なんでもないって言ってるだろ」
その言葉の冷淡さに自分でも驚いた。
突き放すような。
そんなつもりじゃなかったのに。
一瞬驚いた後のあいつの溜息に俺ははっとして、侘びの言葉をつむごうとしたが、それはあいつの唇に奪われた。
「なっ!?」
「血の味がする」
「それは…」
「お前、囚われたのか?」
「囚…われ…?」
「こんな夜だ。多少は致し方ない。が、これ以上は駄目だ」
何を言ってるんだ?
意味が分からない。
「そっちの手を出せ」
「何で…」
「いいから出せ!」
勢いに押されて俺はおずおずと塗れた手を出した。
再びの溜息。
そして、その手をつかむといきなり舐め始めたのだ。
「何やって!!」
「見て分からないのか?舐めている」
「そうじゃない。何で!?」
「これ以上お前が狂気に魅入られないようにしているだけだ」
「狂気に…魅入られる?」
「死の香り、紅い月、全てがお前を狂気に招いてる。それともなにか?殺人者にでもなりたかったか?」
「俺は…」
元から人殺しだ。
今更、何が変わるって言うんだ。
「今更とか思っているんじゃないだろうな?お前のは仕事だろ。殺人者とは違う。間違えるな」
笑えてくる。
こいつに何が分かるって言うんだ。
「…何が違う。どっちも人を殺すことには変わらないだろ?」
そう自嘲してあいつから目をそらした。
こいつの目は見れない。
だって、俺は思ってる。
仕事として割り切っているつもりだが、本当は殺す事を俺は楽しんでいるんじゃないのか?
もし、そうなら俺と殺人者を分けるものは何だ?
人を殺す者を殺人者と言うなら、俺はそれそのものじゃないか。
パンッ
乾いた音がしてその後から頬に痛みがやってきた。
そして認識する。
俺は頬を引っぱたかれたのだ。
この目の前の少女に。
驚きの余り声が出なかった。
「お前は囚われるな」
少女の声には強い意志の力を感じた。
「間違えるな。お前は仕事だからやっているだけだ。殺人者じゃない」
「でも…」
「でも、じゃない。仕事にお前の人格は関係ない。分かったな」
「あっ…ああ」
正直俺は圧倒されていた。
こいつがこんなに強く言うことは初めてだったから。
いつもの気まぐれな野良猫のような気楽さはどこにも無かったから。
そして不思議なことにこいつの言うことは正しい気がしていた。
さっきまで何を思っていたのだろう。
どうしてあんな考えを…?
したくてした事などなかったのに。
そうだ。
俺はいつも仕事が来ないことを祈ってた。
「俺は殺人者じゃない」
そう言ってまっすぐロキの瞳を見据える。
「そうだ。やっと思い出したか」
白い月明かりの下でやっと彼女が微笑った。